メニューボタン
IBMi海外記事2023.05.10

IT雑感:良い面、悪い面、外れた予言

Victor Rozek 著

全般的なITの歴史を記述するというのは、不可能とは言わないまでも、気が遠くなるほど大変な作業だろうと思います。節目となる出来事についてはこれまでにもたくさん記述がありますが、その途中の道のりについてはあまり記述されていないようです。あって当たり前のように思っているシステムを開発してくれた数多くの名もなきプログラマーから、個人的でもあり、集団的でもあるソーシャル メディアの影響まで、ITというのは、良い面と悪い面と認識の誤りが複雑に混ざり合う渦のようなものです。

後から考えると明らかであるため(横柄さがにじみ出てきそうですが)、まずは、誤りから見て行きましょう。外れたIT予言の中で、1番盛大だったものは、他ならぬ、IBMの伝説の初代社長、トーマス・ワトソン(Thomas Watson)氏の予言です。1943年に彼は、「コンピューターには5台分くらいの市場しかないだろう」と述べています。彼の弁護のために言っておけば、彼の言うコンピューターというのは、キャンピング カーのウィネベーゴほどのサイズで、白衣を着たエンジニアが操作を行う、今のお金で680万ドルほどの費用が掛かるものでした。一方、1927年に映画会社ワーナー・ブラザースのH・M・ワーナー氏は、「俳優がしゃべるのを聞きたい人などいるのだろうか」と述べています。私も、ドラマ『 ロー・アンド・オーダー』でヒップホップ アーティストのアイス・T(Ice-T)を目にするたびに、同じようなことを思います。

もちろん、ワトソン氏だけではありません。DEC(Digital Equipment Corporation)社の創業者、ケン・オルセン(Ken Olsen)氏は、「人が自宅にコンピューターを置きたがる理由などない」と思っていたようです。1977年のことです。もっと最近、たとえば今世紀になってからでは、ビル・ゲイツ(Bill Gates)氏は「2年後には、スパムの問題は解決される」と断言しています。肉の缶詰についての発言だったのでないとしたら、彼はうかつだったようです。

現実は、うっとうしくも、予測された結果を徐々にむしばんでくるものです(暗号通貨の投資家に話を聞いてみるとよいでしょう)。ITは、ほぼ誰の予想をも超えてしまったと言って間違いないでしょう。現状でも、ITには、数え切れないほどの便益性と、たくさんの予期せぬ結末がぎっしり詰まっています。

最初は慎ましかったものが(1981年のビル・ゲイツ氏の「メモリーは640KBあれば誰でも十分なはず」という発言が参考になります)、外来植物の葛のように、辺りを侵略し始めました。このシリコンでできた葛は、地球全体を覆うまでに広がりました。スマートフォンから人工衛星まで、マイクロチップが流れる大気の川は地上に溢れ出し、至る所に存在するクラウドは今や地球を覆いつくしています。

ITのように、目に見える、どこにでもあるものと匿名性との間に、矛盾した関係があるというのは不思議に思えます。一方では、IT(情報技術)は、何世代ものエンジニアや開発者の匿名の創造性から恩恵を受けています。情報革命を活気づけたほとんどの人達(プログラマーのチーム、ラボの技術者、チップ設計者、発明者)の名前を私たちは知りません。彼らの尽力に依存していて、それを基盤としていてもです。

ここで、私の人生を飛躍的に楽にしてくれた、2人のコンピューター科学者に対して、私個人として感謝の意を表したいと思います。彼らは、私が何十年もの間、あって当たり前と思ってきた、小さいものの奇跡的とも言うべき文書処理機能を生み出しました。すなわち、コピー/カット&ペースト機能です。これらは、文書作成のプロセスを飛躍的に処理しやすくしてくれました。お二人の名前は、ラリー・テスラー(Larry Tesler)とティム・モット(Tim Mott)と言います。彼らは1970年代に、勤務していたXerox社で、初めてその機能を実装しました。改めて、両氏に感謝の意を表します。ついでに、この場を借りて言わせてもらうと、スペルチェック機能を開発してくれた方にも、私はこの上なく感謝しています。

その一方で、テクノロジーは、匿名性の最も悪い面(ハッカーおよびサイバー犯罪者から、国家による監視や際限のないサイバー戦争まで)に、その手立てを与え、促進しています。そして、無作法がのさばり、誹謗中傷や 個人攻撃 、虚偽の風説の流布によってソーシャル メディアが害されている状況です。そしてその多くは、匿名性のカーテンの後ろに隠れています。

同様に矛盾しているように思えるのは、テクノロジーがつながりと孤立の両方を推し進める点です。世界各地にいる友人や家族と、いともたやすくつながって、悲しみを分かち合ったり、喜びの気持ちを伝えたりできるというのは奇跡的なことです。キーを何回か押すだけで、思いやりや共感が伝わるのです。

それにもかかわらず、多くの人にとっては、ソーシャル メディアの結合組織は、深刻な孤立を引き起こすのみです。空虚な絵文字が義務的に返信されたり、つながりを求める声に対して意味のある返信がなされなかったりすることは、そこには意味のあるものはないということを、痛みを伴いながら気付かせてくれます。そして、つながりがバーチャルなものであるに対して、孤立はリアルなものです。

さらにもうひとつの矛盾は、コンピューター テクノロジーは、行動の自由度を促進しながら、依存を生み出す点です。スマートフォンは、進化によって生まれた新たな腕となっています。スマートフォンを持たずに家を出る人はほとんどいないでしょう。世界中の情報の多くがすぐ手に入るというのは実に素晴らしいことです。私はもちろん森羅万象を知っているわけではありませんが、そのほとんどを検索することはできます。同様に、AmazonからZoomまで、アプリで必要なものを注文できることで、ほんの数十年前には想像もつかなかったレベルの行動の自由度がもたらされています。

しかし、しばらくGoogle Mapsを使用していると、従来の紙の地図をごみ箱に捨てようとしてしまいそうになります(実際、おそらく紙の地図を使用したことがないという世代も現れています)。人工衛星の電波の範囲から出たら、迷子になってしまいます。携帯電話の電波が届かなければ、お手上げです。自宅が停電になれば、いつもの暮らしは止まってしまいます。環境に適応できない人々の最新の気晴しとなっている、変電所の銃撃事件に対して反応した激しい抗議に注目してください。誰もがテクノロジーとのつながりを絶たれたくないのです。端的に言えば、テクノロジーに依存していると、失ったときには脆弱になるということです。

必要性および利便性のために大量のオンライン個人データが蓄積されていることによって、私たちは、ナイジェリアの王子から社会保障番号詐欺まで、そうしたデータの搾取に対して脆弱になっています。人はどうして暗号通貨やNFTを購入しようとするのかについては、私の説明能力を超えていますが、テクノロジーには、不正選挙のように、存在しないものの存在を信じさせる力があるようです。

最後に、ピカピカの新しい、より高速な、より優れたテクノロジーの恩恵の裏側には、世界全体でおよそ5,000万トンと推定される、毎年生み出される大量の電子廃棄物があります。廃棄された電子機器が積み上げられた大きな山の上で、防護服を身に付けることなく、貴金属を拾い集めている子供たちのニュース映像が思い出されます。

残念なことに、電子廃棄物には毒性のあるものも含まれています。有毒物質は、生分解されず、環境、すなわち、土壌、大気、水中、および生物に蓄積します。電子部品から貴金属を回収するために野焼きや酸浴などが行われることにより、環境に浸出する有毒物質が放出されてしまいます。

それは、テクノロジーが生み出す多くの意図せぬ結果のもうひとつの例ですが、限界や差し迫りつつある終焉について数々の予測がなされているにもかかわらず、ITは耐え忍び、繁栄しています。ITは、相変わらず、欠陥があり、扱いづらく、そして不可欠なままです。

「私はこの国の至る所を旅して、素晴らしい人達と話をしました」と、かつてPrentice Hall社のビジネス書担当編集者は述べています。「そして、データ処理というのは、年内には終わりを迎える一時的な流行だと断言できます」 これは1957年のことでした。

では、予言と創造と帰結の新たな1年を迎えるにあたって、不確かであることを、ある程度は受け入れるようにすることは有益かもしれません。私たちの考えていることが予言的であろうと、独断的であろうと、ジョゼフ・グエン(Joseph Nguyễn)氏の有名なアドバイスに従うのが一番良いのかもしれません。グエン氏はこう述べています。「自分の考えていることのすべてを信じてはならない」

あわせて読みたい記事

PAGE TOP